それは愛?執着ではなくて

こんにちは、美家 衣佐です。

 

タイトルのお話。

 

恋愛、仕事、お金、対人関係。

 

叶えたい現実を引き寄せるためには、

「執着」という問題が必ず出てきます。

 

ほしいもの、ほしい現実が手に入らないとき、

人は必ず抗い(あらがい)ます。

 

「どうしても諦められない」「どうしても手に入れたい」何がなんでも。

 

人に対してのエゴもそうです。

 

「こう動いてほしい」「こうなってほしい」

 

自分の希望通り、物事が動いてほしい。

相手にこういう風に動いてほしい、自分が求めるタイミングで。

 

物事がなかなかうまく動かないとき、それはあなたの「執着」ではないか、

一度見つめ直してください。

 

「なんで思った通りにならないの!」

そうイライラしたときは、一旦そのことについて考えるのをやめた方がいいです。

 

力づくで引き寄せようにも、

思い通りにならない現実を引き寄せるだけになります。

 

かつての私は、

家族関係にかなりの「期待」と「執着」を持っていました。

 

子供の頃から父親との関係が希薄で、年々父親と疎遠になっていました。

いつも父親に会いたい。

父親と家族みんなで仲良く暮らしたいと思っていました。

 

父親の愛情に一時期、飢餓状態に陥っていました。

 

子供の頃の幸せな自分を思い返しては、その当時を懐かしむ。

子供の頃が、人生で幸せのピークと思っていた時期もあります。

 

親というのは子供からすると、絶対的な存在です。

親の言っていることは正しい。親に逆らえない。

親というのは偉大だと。

 

実際父をすごいんだろうなと思っていましたし、

たまにしか会えない父をどんどん美化していました。

 

ただあることをきっかけに、美化していた父を、

なんて未熟で、なんて人間臭くて、

なんて「弱い」人間なんだと気づきました。

 

勝手に「期待」をして、勝手に「こうなってほしい」と要求して、

勝手に思ったようにならない現実を嘆いていました。

 

今思えば、親は親だけど完璧なんてないし、

親も普通に間違えるし、親も一人の人間。

 

大人になった今、親の意見も一意見として聞きますが、

それが自分が思う意見と全く違う場合は「ありがとう、そういう意見もあるよね」と言いますが、私は親の意見は聞きません。

自分の人生の選択を自分で決め、その選択を人のせいにすることもなく、

自分で責任を取るからです。

 

父は父で相当なプレッシャーだったと思います。

本当は完璧でないのに、

いつも「良い父」で、「尊敬される存在」で「人間臭い部分」を一切見せず。

 

父という個人の人格を見ずに、勝手に期待していたことに気付きました。

 

私はそれをきっかけに人に一切期待をしなくなりました。

 

それはマイナスの、悲しいことではありません。

 

「ありのまま」その人を見る、

「ありのまま」その現実を受け入れるということに気付いたからです。

 

良い悪いも評価しない、正しい正しくないも評価しない。

期待もしない。エゴも持たない。見返りも求めない。

 

家族ですら、意見を聞かずに

「○○だよね」という決めつけをやめました。

 

物事を、

「こうなったらいいな〜」「こうなったら楽しいな〜」

ふふふと感じて楽しいと思うことはイメージします。

 

でも「こうじゃなかったら嫌だ」「こうじゃなかったら腹が立つ」

というのはそれ以来、一切なくなりました。

 

「こうなってもいいし、こうじゃなくてもいい」

 

一見諦めのようですが、自分が一つのことを一生懸命やって、

もうそれ以上進まなければ、

一旦そのことについては置いておきます。

 

世の中には自分の力ではどうにもならないことがあります。

天災、事件、事故、社会の流れ、今回のコロナもそうです。

 

物事にはタイミングがあります。

「時間が解決してくれる」ということも。

 

この世の中の絶対的な常識、ルールは「普遍」ということ。

止まっているように見えても、私達は常に変化している。

 

人は一つのことを自分の中ではものすごく見えているつもりでも、

実際には全然見えていないものです。

 

私は父のことを360°とは言わなくても、180°ぐらい見えているつもりでも

実際は30°、いや15°も見えていなかったのかもしれません。

父を求めるあまり、どんどん視野が狭くなっていました。そして自分自身、苦しくなっていた。

 

「手放す」「諦める」「執着をしない」ということを学んでから、

逆に引き寄せたいことがどんどん引き寄せることができるようになりました。

 

「委ねて」そして「受け入れる」

 

今思うと、あんなに力を込めて踏ん張っていたのはなんだったんだろうって。

父への気持ちも、今思うとそれはそれは重たかったですね。

 

執着のエネルギーは「重たく」、愛のエネルギーは「軽い」です。

 

「こうあるべき」という枠組みが一切なくなりました。

 

手放して、はじめて入ってくる。

 

自分の勘を鋭く、やるだけのことをやったら、あとは何も考えない。

 

あなたが今スムーズにいかないこと。

 

それは本当に「愛」なのでしょうか。

「執着」ではなくて?

 

「執着」では対象が逃げますし、まず引き寄せることはできません。

「手に入らない」現実をどんどん引き寄せてしまいます。

 

現実の本当の姿を見ていますか?

 

「手放す」「執着をしない」ということは、

幸せを手に入れるのに大切な第一歩です。