もう何年も前の話で自分の中で大切なこととして、
今まで話したくなかった存在について今日初めて話します。
子供の頃、家族のような存在、
親以上に私のそばにいて、私を育ててくれた人がいます。
その人はお母さんのようにいつも穏やかで包容力があって、
私が言うことを聞かないときも優しく諭して、いつもさりげない優しさで、繊細だった。
人一倍気遣いが出来て、周りを考えて発言をして、
真面目で丁寧なしぐさに誰からも信頼されていた。
「自分自分自分」と押しのける人間よりも私は誰よりもその人を信頼して、
「その人がいい」とずっとその人のそばにいることを選んだ。
小さい子供の頃から徐々に学生になり、
お互いの生活の忙しさですれ違いになり、少しずつ会う機会がなくなり、
最後に会ったときはいつも穏やかなのにも関わらずその日はすごくイライラしていて、
「どうしてそんなにイライラしているの?珍しいね」
と驚きながら本人に言ったのを、覚えている。
その数ヶ月後、その人は自死をして、
私は子供だったことからあまりのショックに耐えられないのではということから、
その事実を知ったのは数年後のことだった。
「最近どうしてるの?」「最近見ないけど」
周りの大人達の配慮で真実を知らないまま、
ずっと疑問を抱きながら、
真実を知ったときは呆然となりひたすら泣いた。
ただただひたすらその人との過去の思い出やなぜそうなったのか、どうしてなのかと受け入れ難い現実との狭間で何度も何度も自分の中で思い出し、考えた。
言葉にも出来ずに、ただ静かに。
まさか自分からその選択をするとは思っていなくて、もう何年も前のことだけど、いまだに消化できていない。
いつも一緒にいて心から感謝していたけど、
もっともっと、大好きで大切で、本当にあなたがいないとこの世の中が暗くなるほどかけがえのない存在だと、何度も何度もしつこいぐらい伝えれば良かったと。
最後の方は会う頻度も減って近況やコミュニケーションもざっくりで、
異変に深く気付けなかったことにショックを感じる。
その人がいたから今の私がいると言ってもいいぐらい、たくさんの愛情をくれた、大きな存在。
本当に優しくて、繊細で、大らかで誰にでも優しい人だった。
人が亡くなったときに、
「死んだらダメだ」とか「死ぬことを美化しない」とかそれぞれの意見が出てくる。
本当に近しい人を自死で亡くしたとき、気付けなかった自分を強く責めるし、
まずご家族や近しい方が亡くなった方には本当にそっとしてあげてほしい。
そして心優しい繊細な人から見たら、何度も何度も諦めないように前を向いて世界を見ようとしたけど、あまりに残酷な世の中にきっと絶望感を感じたから、
優しい人が生きていたいって思える美しい世の中に少しでもなるように。
自分の損得で優しい人のふりをする偽善者じゃなくて、自称繊細ではなくて。
本当に心から優しい人。心から無償の愛の人。繊細で無償の愛で人を包み込める優しい人。
意外とそんな人の外側は荒削りだったり、目立たなかったり、笑ってひょうきんに誤魔化していたり、一見強そうに見えるかもしれない。
そんな心から優しい人が、
「生きていてもいいかな」「少しでも生きていたいな」「生きたい」って思える、明るく、美しい世界であるように。
私は悩みを聞く仕事をしていていつもお伝えしていますが、
本当に心から優しい方々には、
自分を責めないで、ありのままのあなたで、あなたがいてくれるからこの世の中は明るく美しい。
生まれてきてくださって、本当にありがとうございますと、心から言いたいです。
疲れたらゆっくり休んで、自分を責めずに。
自然の中で英気を養ったり、何も考えなくていいから美味しいご飯を食べて、
ぐっすり眠って。そんな日を何日も何日も続けてください。
あなたはあなたのままで素晴らしいから、今は周りのことは考えなくていいから、自分のことだけを考えて、常に頑張り続けないで。
そして少しでも明るくて美しい世界に。
人を傷付けない、多くの人が心から愛する世の中に。