真似する人の複雑な心理について

こんにちは、美家 衣佐です。

 

よくご相談で、

「友達に持ち物、服装、髪型まで真似をされます。新しい物を買うとすぐに同じものを買ってきて、さも自分が見つけたかのように周りに自慢したりします」

 

「職場の同僚に対抗意識から真似されることがあります。すごく不快です。真似する人の気持ちについて教えてほしいです」

 

と、中には職場の場合では派生して、真似をされ続け手柄を横取りされた話など

シチュエーション問わず、このようなご相談を度々いただくので、

今日は「真似すること」についてお話しようと思います。

 

真似する側にとって、相手の気持ちはさほど重要でもないと思いますが、

真似される側にとっては不愉快ですよね。

 

「真似してるよね?」

と聞いても、真似していることを認めない、あるいはそもそも全く真似をしているという意識がない場合があります。

 

なぜ真似をするのか。

 

まずどういう気持ちや理由で、真似をするのかについて話したいと思います。

 

憧れの気持ちや仲間意識

芸能人や憧れの人を真似したい気持ちは分かりやすいと思います。

「こんな人になりたい」「こんな風になりたいな」と思います。

憧れの気持ちには「その人になりたい」という願望を含みます。

 

また仲間意識を持って、同じようなものを持つ、同じような服を着る場合があります。憧れとするコミュニティに入り、行動や仕草まで同じように振る舞い、他の人と同じ行動をすれば「みんなと同じ」ということに安心感を感じます。

 

自信がない、劣等感が強い、個性がない

自分に自信がありません。

ありのままの自分の姿に価値がないという無価値感を抱いています。

劣等感やコンプレックスが強いです。

①とあわせて、憧れの誰かの部分を自分の中に取り込むことで、

心理的取り入れと言います)自分が特別な存在になったような気持ちになります。

ブランド物をたくさん持つことで自分が素敵な存在になったように感じることや、優秀な人が言っていたことを同じように言うことで、まるで自分も博識がある人間だと思い込んでしまうことや振る舞いもそれにあたります。

 

また、人の真似であると「自分のセンスや自分のアイディアではない」と根底で分かっているので、周りからの評価が悪かったり、良いリアクションを得られなくても「自分が考えた訳じゃないから」と傷つかないで済むという防衛本能があります。

 

周りに認められたい

ありのままの自分を受け入れられない。オリジナルで勝負出来ない。

個性がないのですが、積極的に人の真似をする人は総じてプライドが高い人が多いので、人の評価や人にどう見られるかをいつも気にしています。

努力をせずに手っ取り早く人からの称賛がほしいので、人の真似で表面的な部分を取り繕うとします。

また、真似をしたことで一度でも周りに「いいね!「素敵だね!」と言われると、その後も真似や模倣の癖がつき、もっと褒められる様に真似出来る対象を徹底的に真似したり、周囲の評価を得られるようなターゲットを次々に探す傾向があります。

 

マウント、負けず嫌い

承認欲求や自己顕示欲が強い人は、

他者が持つ素敵なものを見つけると「自分の方がより似合う!」「自分の方がふさわしい!」という対抗意識や嫉妬心を持って真似をします。

決して憧れや尊敬、尊重からくるものではありません。

モラハラの男性が妻の意見を一旦否定しておいて、その後さも自分の意見かのように採用することにも見受けられます。

プライドの高さから相手を一度否定をしておきながら、後々言っていることをあっさり変えて真似をしていたり、あからさまな真似でも「真似をしていない」と否定したり、最初から自分のアイディアや意見として開き直り、堂々と真似をします。

 

では反対に真似をされる側はなぜ不快に思うのか。

 

自分の個性を大切にする上に、自分の個性を奪われたと思う

創造する、自ら新しい何かを生み出すことが好きな方や楽しい方、

唯一無二の個性として自分を表現したい方は「自己のアイデンティティ」をとても大切にしています。

こういう方は「誰でもない私」「独自性」を大切にしています。

アイデンティティが脅かされた、また奪われたように感じ、ひどく傷付きます。

 

時間や労力をかけて良いものを選択したこと、生み出したこと、見つけたことを簡単に取られたように感じる

考え、ときには長時間悩み、生み出したアイディアなど、

そこに至るまでに色々な努力や過程があったのにも関わらず、

安易と真似されることで自分自身の努力、労力が無駄に終わったように感じます。

 

監視されているように感じて、恐怖心が募る

何か一つでも真似されるということはじっと相手に見られています。

また「どこで買ったの?」など探られ、パーソナルな部分に侵入されたように感じます。

見た目、雰囲気、持ち物だけでなく、口癖、ライフスタイル、全てにおいて真似をする人も少なくなく、自分がじっと見られているような、監視されているように感じ、純粋に「気持ちが悪い」「怖い」と思う方も多いようです。

 

 

「真似ってそんなに悪いの?」と思う方もいると思います。

人は多少お互い影響し合っています。

良い部分を影響し合うことで良い影響をもたらすこともあります。

また長時間そばにいると、夫婦や家族、パートナーなど似てきます。

 

ただ、行きすぎて習慣的に真似をし続けている人は、

他者に対する依存心が強く、自立心がありません。

心理的に未熟な部分や自我が確立されていないために起きます。

 

キーワードは心理的内在化や防御機制の一つの「取り入れ」「同一化」によるものです。

 

私達は子供の頃に、母親をはじめ父親や周囲の大人、兄弟などの仕草を真似をして成長します。

ごっこ遊びや、男の子がヒーローものや戦隊ものの真似をして遊ぶのもその一つです。

 

内在化とは、自分の内面ではない外の世界のもの(価値や規範など)を自分の中に取り入れる過程のことです(内面化とも言います)

 

取り入れは、他者の特徴や考えなど一部を自分のものとして取り入れて真似することで、

 

同一化とは真似をしていた相手(他者)の全てを真似する(取り入れる)ことで境界線がなくなり、相手をそのまま自分自身だと錯覚してしまいます。

 

これらは無意識下で行われています。

 

多少の真似は許容だとしても、行き過ぎた真似はこういった心理的要因から生じます。

 

私も何年もアイディアを真似されたことがあります。

プライベートの部分まで、探られ真似されたこともあります。

霊感もあるので、じっと見られるような視線のようなものをずっと感じました。

 

頑張って自分自身で見つけたもの、生み出したものが真似されるのは、本当に不快な気持ちになりますよね。時に、生活や活動の妨げにもなります。

 

真似される側の多くは、真似する側より精神的に大人であるので、

我慢をするか」「ある程度許容するか」「指摘する」かどれかの対応になるでしょう。

ただ多くの人は「我慢をして距離を取る」のではないでしょうか。

 

真似する側の他者に対する依存性や、自己の確立が出来ていない未熟な精神性からくるので、真似される側の大人の対応は分からないでしょう。

 

ただ真似する側は、

いつまでも内面を自力で成熟させることもなく年齢を重ねていくので、

いつまで経っても「本当の自分が分からない」「ありのままの素の自分に自信がない」ため、他者を取り入れ続け、本来の自分を偽りながら、現実と理想の自分のギャップがどんどん開いていき、生き辛くなります。

 

本人は真似することに夢中になっていたり、真似するものがなくもがいていたりするので、なかなか本当の原因の部分に気付きにくいのですが、

すぐに人を真似したい、他者の要素を取り入れたいと思う自分を「何故だろう」と気付けたらいいですね。

 

真似されて悲しい方は、ある程度は許容しつつも、

このような心理を理解して、心が苦しくなってきたら、

「自分自身はオリジナルを追求しよう」「人の真似では続かない」と心の中で割り切りながら、あまり見せない、また辛い場合は距離を取ったり、第三者に相談してみてください。

 

私は過剰に真似する行為はネット上の誹謗中傷に似ているなと感じます。

真似をする考えがない人からすると不思議で仕方ないと思います。

 

真似をされることに不快感を感じる相談は多く、

真似されることだけでなく、あらゆることに対してされる側、被害者側が声をあげないことに対して、黙っているからといってその状況を受容していると思わないでほしいですね。

 

表面的な問題として浮上していないとしても、

不快な思いや、辛い思いをして悲しんでいる人が必ずいるということ。

 

そして他者に依存せず精神的に自立すること、自己の精神性の成熟は大切であると改めて感じます。