張り合いのエネルギーが原動力の人

こんにちは、美家 衣佐です。

 

人と張り合うことでしかエネルギーを出すことが出来ない人がいます。

 

例えば、

自分一人だけだと無気力で何もせず一日をぼんやり過ごすのに、

誰かと自分を比べ「負けたくない」という気持ちだけで日々生きようとする人がいます。

 

そのときの気持ちを「やる気」と言えば聞こえはいいのかも知れませんが、

ただの一生「負けず嫌い」

 

あくまでそういう人の人生は

「勝った」「負けた」「勝ち組」「負け組」「(人より)上か」「下か」の思考しかなく、

そう言った言葉の表現を心の中でよく使います。

 

何故それが悪いのか。

 

一生心に平穏が訪れず、常に何かに追われ人生を送ることになるからです。

 

「張り合うこと」が生活、人生の原動力の人は他人の行動を見て、

「負けてたまるか」と躍起になり、そこに人生を費やします。

 

自分より優れていそうな人を見つけては、追い抜かそうとするか、

何かしらの勝利宣言を掲げようとします、一方的に。

 

何一つとってもマウントの嵐。

そしてただ他人が普通に生活しているだけで、

「自慢された!」と被害妄想がひどいのもその特徴。

 

そしてその後は、いかに自分が他者よりも優れているかに命をかけるだけです、それも表面的に。

 

張り合う人は死ぬまで張り合うし、

どんな瞬間も満たされることはありません。

 

そういう人の特徴として、

意外と一人っきりの空間になったときは無気力になって何もしなくなるから分かりやすい。

 

あと、「人と比べない」などよく言いますね。

まず人と比べない人はそんな考えが頭にないので、そんなことをわざわざ口にしません。

比べてしまう自分に対しての戒めでしょう。

 

自立をしておらず、他者依存の典型です。

 

そういう人はもれなく、他人を「利用するか」「利用できるか」でしか考えておらず、他人を「物」同然に扱います。

そしてそう悟られないように、口が上手いのが特徴。

 

自分もまた「利用価値があるかないか」で人に値踏みされ、それに気付かず、

そのような悪しき人間関係、社会から抜けることは出来ません。

 

そういう人は非生産的で、コスパが悪い。

とにかく無駄なお金がかかります。

 

気にしていないと言いながらも人と比べて、

「自分もこうしよう」「自分ならこうしよう」

本人はオリジナルを目指しているように見えて、

張り合うことはあくまで他人の行動がベースになるので、当たり前ですが似てきます。

必然的に真似事でしかありません。

 

自分の中に湧き上がるクリエイティビティからではないので、

真似をするだけでオリジナルがなく、誰かの人生を真似して生きる一生偽物です。

 

誰かが見てくれないと頑張れないことは本当の努力とは違います。

 

張り合いの対象物を探しては、勝ち負けで張り合っても、

いつまでも競争相手を探しては戦いを挑み続け、幸せにはなれません。

 

張り合うことはやめられないと思いますが、刻一刻と破滅の道に進みます。

 

本当に怖いですね。