スピリチュアルの在り方

わがままな自分を肯定するために、

”スピリチュアル”は存在するわけではないのに、

 

いつから"スピリチュアル"はそんな存在になってしまったんでしょう?

 

周りを無自覚に傷付け、自らのわがままを肯定するためだけの

”自分の欲望を叶えるための道具(ツール)”と捉えてしまうほど、

日本の中での”スピリチュアル”はそんな存在に成り下がってしまったのか。

 

スピリチュアルはそもそも「目に見えない世界」という意味で、

Spirit:精神性、霊性という意味からくるので、自然や目に見えないものに対する畏敬の念、

尊さ、他者を思いやる気持ち、尊重、リスペクト。

 

自分勝手さを正当化して、綺麗事を並べるのがスピリチュアルでもなければ、

現実逃避をするための”逃避先”でもない。

 

素晴らしい能力の、素晴らしい人格、霊格のあるスピリチュアリストはたくさんいるにも関わらず、

粗悪な似非スピがあまりにも増えてきたことでまさに、魑魅魍魎、玉石混淆。

スピリチュアルが本来の意味とはかけ離れ歪められて伝わり、なんでもありになってきましたね。

 

物質主義の霊性の低い人達が”スピリチュアル”を語っているとその矛盾に可笑しくて。

 

その上、お金のない人から高額なお金を巻き上げているとこちらの眉間に皺が寄るし。

 

粗悪なスピリチュアルに大金を払わないで、

 

自分のために美味しいご飯を食べてください。

大切な家族のためにお金を使ってください。

自分の今、そして未来のために貯金をしてください。

 

本来の”スピリチュアルの意味”に戻り、

スピリチュアルの立ち位置、在り方が現実の生活と良いバランスの世界に移り変わりますように。

 

まず”自分を大切にしてくださいね”