”面倒臭い”という言葉を掘り下げてみた

こんにちは、美家 衣佐です。

 

前回、書きました下記の記事について。

補足です。

 

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”面倒臭い”という言葉がなぜ良くないのか。

改めて掘り下げてみました。

 

まず、”面倒臭い”という言葉は、

「自分ができないレベルの事柄」を指す言葉ではないと思います。

 

やろうと思えば出来るんだけど、極力やりたくない

出来るんだけど(関われるんだけど)複雑でややこしい、煩わされると感じるものや人

 

に使われると思います。

自分にとって、いとも簡単に出来ることには使わないし、得意と認識しているものには使わない。逆に今の自分の能力では絶対に出来ない、不可能なことにも指しません。

 

そして一歩先に行くと、”面倒臭い”という言葉は感覚的に、

全ての問題点が複雑化し、一緒くたにごちゃ混ぜになっている印象があります。

 

鳥の巣みたいに絡み合った状態。

 

そして、問題が全て「自分に帰属している」ような感じがします。

あれもこれも、結局は私がやらなければいけない。私がやらないと終わらないなど。

 

まずやれることは、

”面倒臭い”という言葉で一つにまとめるよりも、

「やる」「やらない」「やるべき」「やらないべき」

「私がやるべき」「(私じゃない誰かの)○○がやるべき」など問題を細分化した方が良いです。

 

「やる」「やらない」「やるべき」「やらないべき」だと、

シンプルに二択に出来、いつまでにやる、どのようにやるなど計画的にそこに取り組むことが出来ます。

 

「やりたい」「やりたくない」も、

「たった今やりたくない」のか、「あとでやりたくなるのか」

「気が乗らないけど、やった後にこういう結果が待っている」など考えることで少しでもやってみようと取り組むことも出来ます。

 

また、「私がやるべき」「(私じゃない誰かの)○○がやるべき」ということも細かく考えてみるのも必要です。

 

「ここまでは私の問題だけど、ここまでは○○さんがやるべきだ」

「ここまでは私がやるけど、ここから先は○○さんにやってもらおう」など役割を分けることも出来ますし、

そもそもその人の責任感から、気付かないうちに他の人の問題を抱えている場合もあります。

 

”面倒臭い”という言葉をやめて物事を細分化すると、

 

そもそも

自分がどうしてもやらなくてはいけないことなのか

やった方が自分のためになるのか

代わりに私がやることで誰かの成長を奪うのかなど、色んな視点が見えてくることにもなります。

 

複雑な問題は、

「やる」「やらない」「やりたい」「やりたくない」「やるべき」「やらないべき」

など一つ一つ紐解き、どんどんシンプルに考えていく。

そして最終的に、問題の根本的なところまで掘り下げてみましょう。

 

いつまでも問題を複雑化する思考に慣れてきていくと、複雑にしか物事を捉えられなくなります。

 

問題を解決する思考でなく、問題を一つ一つ拾っていってしまう思考になり、

問題が解決どころか、問題を手の中にいっぱい抱えるということにもなり得ます。

 

”面倒臭い”という言葉で片付けず、ふと立ち止まって考えてみてください。